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播磨の国ぶらり

連載第14回(2015.07.22)
播磨の法隆寺「鶴林寺」第一回(加古川市)

このコラムでご案内している通り、播磨一帯は、奈良、京都に匹敵する仏教文化のメッカです。定説は様々ですが、4~5世紀頃の播磨国はまだ大和国に統一されておらず、独立国家として存在し、仏教の先進国であったためと考えられています。

581年に、日本で最初に建てられた寺院とされる「鶏足寺」の記録が播磨の古文書に残されています。

現在でも奈良、平安、室町、鎌倉、江戸時代にわたって建立された仏教寺院や仏教美術などが数多く残っています。

鶴林寺太子堂~本堂.JPG中でも、今回ご案内する「鶴林寺」は、「播磨の法隆寺」とも呼ばれる播磨の仏教文化の歴史を体感することができる寺院のひとつです。

実は加古川市内には、この鶴林寺と同じく、法隆寺と同じ伽藍(がらん)配置を持つ寺院がいくつもりました。7世紀末から9世紀にかけての西条廃寺、8世紀前半から9世紀の石守廃寺、7世紀末から9世紀にかけての中西廃寺などがそれで、この一帯の法隆寺文化の広がりうかがい知ることができます。

しかしそれらはすべて九世紀で一度終わってしまったのです。

その原因は、868年の播磨大地震により、すべて倒壊してしまっという残念な出来事によります。

 

鶴林寺正門③.JPG崇峻天皇2年(589年)頃、日本最初の渡来僧・恵便(えべん)法師は物部氏などの廃仏派の迫害を逃れて、仏教先進国である播磨の地に身を隠していました。

聖徳太子は恵便法師を慕い、その教えを受けるために播磨を訪れ、三間四面の精舎を建立し、釈迦三尊と四天王を祀り、「四天王寺聖霊院」と名づけたのが、この「鶴林寺」の始まりといわれています。

鶴林寺 観音堂~鐘楼~本堂.JPG

 

 

 

その後、養老2年(718年)太子の遺徳を顕彰するために、七堂伽藍が建立され、さらに9世紀のはじめに慈覚大師円仁が薬師如来を刻して国家安泰を祈願されました。天永三年(1112年)に、鳥羽天皇から勅額をいただき、「鶴林寺」と寺号を改め、勅願時に定められました。

「鶴林」とは、釈迦涅槃の「沙羅双樹の林」を意味しています。

国宝に指定されている「太子堂」はこの時の建立といわれています。

 

 

鶴林寺本堂参道.jpg鎌倉、室町時代には、太子信仰の高まりとともに、数百名の僧侶、数十名の雅楽隊、寺坊三十数坊、寺領25,000石とその隆盛を誇っていたそうですが、戦国時代に入り、信長、秀吉からの弾圧、江戸時代には厳しい宗教政策、そして明治政府の廃仏毀釈など、様々な時代の荒波を受けて、衰微を余儀なくされてしまいました。

現在は、宝生院、浄心院、真光院の三ヶ寺と15,000坪の敷地になっています。

しかし、戦国時代には信長への寺領差し出しにより、破壊焼失を免れ、第二次世界大戦の戦禍もくぐりぬけた国宝や重要文化財に指定されている数々の建造物や仏像などの美術品を目にすると、よくぞ今日まで残ってくれたものだと感慨深いものがあります。

 

 

 

鶴林寺仁王左.jpg私が訪れたのは、夏休みの日曜日午前中。

これだけの歴史と貴重な建造物、宝物、美術品があるのに、訪れている人は十人程度。

静かに物思いに耽り、ゆっくりと見学できるのはありがたいのですが、地元の人間としてはもっと多くの方に知っていただきたい気持ちでいっぱいになりました。

次回は、国宝・重要文化財になっている「鶴林寺」の数々の建造物などをご案内しようと思います。

 

拝観料:大人500円、小・中学生200円

    宝物館入館料は別途。(大人セット券:800円)

アクセス:JR加古川駅下車 かこバス「鶴林寺」下車 200円

加古川駅から徒歩でも15~20分です。

 

 

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